「江戸幕府と琉球王国」「江戸幕府とアイヌ民族」とは わかりやすく解説

歴史
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 江戸幕府

 出島でオランダ

 唐人屋敷で清

 と貿易を行っていました。

 江戸幕府と琉球王国とは

 江戸幕府とアイヌ民族とは

 どのような関係だったのでしょうか。

 簡単に、わかりやすく、解説していきます。

江戸幕府と琉球王国

① 薩摩藩の支配

 琉球王国は江戸幕府と直接交流があったわけではありません。

 薩摩藩(現在の鹿児島県)によって支配されていました。

 支配されながらも琉球国王はそのまま残る形でした。

 琉球王国は薩摩藩に支配はされていたものの、清との朝貢貿易も続けられました。

 中継貿易の窓口であることに変わりはありません。

② 中継貿易

(中国への進貢船 出典:Wikipedia

  琉球王国は、清と貿易を行っていました。

 輸入品は生糸や薬

 輸出品は銀や海産物

 中継貿易の利益に目を向けた薩摩藩。

 中継貿易を薩摩藩の管理下において、莫大な利益を上げることに成功しました。

③ 琉球使節

琉球使節

将軍や琉球王国に代替わりがあるときに、琉球王国から江戸に派遣される使節

 江戸幕府は「衣装は中国風にしなさい」としていました。

太子君
太子君

どうして「中国風の衣装」を着させて江戸まで来させたのだそう?

 江戸幕府は中国風の衣装を着た日々とが江戸まで着ているのを見て、

 「江戸幕府は中国(清)まで影響力があるのか、凄いぞ!」

 と思わせるためです。

江戸幕府とアイヌ民族

① アイヌ民族

 アイヌ民族蝦夷地(現在の北海道)に住む人々です。

 アイヌ語をしゃべり、独自の文化を持っていました。

 生活は狩猟や漁業が中心でした。

② 松前藩の支配

 江戸幕府は松前藩にアイヌ民族との交易を認めます。

 松前藩はアイヌ民族との窓口になりました。

③ アイヌ民族と松前藩との交易

 松前藩はアイヌ民族からさけ、にしん、こんぶを手に入れていました。

 アイヌ民族は松前藩から米や日用品を手に入れていました。

 松前藩が利益を上がられるような交換比率でした。

 松前藩が米1俵をアイヌ民族はわたす

 アイヌ民族は鮭100匹を松前藩へわたす

 どちらが儲けられるか分かりますよね。

 現在の価値で言うと

  松前藩    アイヌ民族
 米(3万円)⇔ 鮭(30万円)

 これだけの違いがありました。

アイヌ民族の反乱

 アイヌ民族は交易の交換比率の不公平さだけでなく、様々なことを松前藩が行いました。

 蝦夷地で砂金が発見されました。

 砂金は川の中にあり、松前藩の人たちがとりにきました。

 川は狩猟、業業をするのに大切な場所です。それを荒らされました。

 また、松前藩と仲良くしていたアイヌ民族が、松前藩から暗殺をされます。

 我慢の限界が訪れます。

 シャクシャインを中心に松前藩に対する反乱を起こします。

 しかし、反乱は鎮圧されました。

 松前藩の支配はさらに進んでいきます。

(平沢屏山による、オムシャを描いたアイヌ絵。葉タバコや漆器を下賜される場面。白州に見えるのが役蝦夷である。
出典:Wikipedia

用語確認 一問一答

① 現在の沖縄県にあった王国の名前

② 琉球王国を支配した藩

③ 蝦夷地を中心に生活していた民族

④ アイヌ民族との窓口になった藩

⑤ アイヌ民族が松前藩に反乱を起こしたときの中心人物

用語確認 一問一答 ~答え~

① 琉球王国
② 薩摩藩
③ アイヌ民族
④ 松前藩
⑤ シャクシャイン

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