明治時代は海外との交流が盛んに行われた
鎖国をしていた江戸時代とは違う
明治政府は欧米諸国とどのような関係だったのか
欧米に追いつけ追い越せを目指した
岩倉使節団についてわかりやすく、簡単に解説していきます。
キーワード
・岩倉使節団
・岩倉具視
・津田梅子
世界の常識~列強(一等国)を目指して~
当時の世界は大きく分けると三つの国に分けられています。
列強(一等国) 経済力、軍事力で植民地を獲得していく国家
普通の国(二等国) 経済力、軍事力は未発展の国家
植民地(三等国) 列強により植民地支配をされている国家
列強になれば植民地から重要な資源を獲得できる。
産業革命により大量の製品を生産することができた。
製品を輸出する市場として植民地に売ることができる。
植民地は列強(宗主国)の言うことをきくため、バンバン売ることができる。
列強にとって植民地は「金のなる木」だった。
岩倉使節団~不平等条約の改正を目指して~
明治政府は江戸時代に結んだ不平等条約の改正を目指していました。
不平等条約改正のため、岩倉具視を全権大使とする「岩倉使節団」を欧米に派遣した。
岩倉使節団の最大の目的は
不平等条約の改正
でした。
不平等条約とは、
日本に関税自主権がなく、相手国の領事裁判権を認める内容
です。
不平等条約の改正を目指して
岩倉使節団は最初はアメリカに到着をした。
到着早々困ったことがあった。
不平等条約を改正するためには天皇の国書が必要だと言われた。
到着早々に伊藤博文に
今すぐ日本に帰って、天皇陛下の国書を持ってこい!
と言われ、日本にとんぼ返りさせられました。
初代内閣総理大臣もまだまだ若手の明治初期です。
国書を持って行ってもアメリカは
ニホンニハ ホウリツガナイ ジョウヤクカイセイ ムリムリ!
というようなことを言われました。
アメリカの対応を見て
条約改正は憲法ができるまで無理だ!
ということが分かりました。
ここから、岩倉使節団の目的は「欧米の視察」にシフトしていきました。
欧米の視察
欧米の政治・経済・社会の視察に目的は変更していきます。
欧米に行った岩倉使節団はヨーロッパに行き驚きます。
いたるところに、工場がある。道路がある。工場がある。
ヨーロッパと日本の差にがく然とします。
岩倉使節団は慣れないヨーロッパで様々な体験をします。
例えば、エレベーターに乗り、動き出したときに悲鳴をあげたこと
例えば、銀行の倒産詐欺にあい、お金をだまし取られたこと
例えば、下水道の施設に感動したこと
例えば、欧米の人々の女性への気遣いに対して、あまりよろしく思わなかったこと
女性留学生
岩倉使節団の中に女性留学生がいました。
最年少は6歳の「津田梅子」です。
2024年から5000円札になる人物です。
用語確認 一問一答
① 岩倉具視を全権大使として欧米に行った使節団
② 岩倉使節団の目的を2つ
③ 岩倉使節団にいた女性留学生の最年少
用語確認 一問一答 答え
① 岩倉使節団
② 不平等条約の改正 欧米の政治、経済、社会、産業の視察
③ 津田梅子