国民の政治参加を目指して!自由民権運動

歴史
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皆さん、こんにちは!「社会人先生」です。今日も一緒に社会科の歴史を学んでいきましょう!

今日は、明治政府のやり方に納得がいかない人々が「自分たちにも政治をさせろ!」と立ち上がった熱い時代のお話です。

自由民権運動


1. 藩閥政府への不満と建白書

明治政府の初期は、薩摩藩や長州藩などの一部の出身者だけで政治が行われていました。これを藩閥政府(はんばつせいふ)といいます。

これに対して、「一部の人だけで決めるのはおかしい!」と声を上げたのが板垣退助です。

 板垣退助は政府の中心人物でした。しかし、征韓論で政府、特に大久保利通と意見が合わず辞めていました。

  • 1874年:板垣退助らが 民撰議院設立の建白書(みんせんぎいんせつりつのけんぱくしょ)を政府に提出。
  • 内容:「早く国会を開いて、国民の意見を聞くべきだ!」と主張しました。

これが、国民が政治参加を求める 自由民権運動 のスタートです。


2. 西南戦争:武力から言論の時代へ

政府に不満を持っていたのは、板垣たちだけではありません。仕事や特権を失った士族(元武士)たちも、各地で反乱を起こしていました。

  • 1877年西南戦争
  • 西郷隆盛(さいごうたかもり)を中心とした、士族による最大・最後の反乱です。

しかし、最新の装備を持つ政府軍に敗北します。これを見た人々は、「武力で政府を変えるのは無理だ。これからは言論(言葉)の力で国会を作らせよう!」と考えるようになりました。


3. 国会開設の約束と政党の誕生

運動が全国に広がり、1880年には国会期成同盟(こっかいきせいどうめい)が結成されます。政府もついに無視できなくなり、1881年に「10年後に国会を開く」と約束しました(国会開設の勅諭)。

国会が開かれる準備として、同じ考えを持つグループである政党が作られました。

政党名リーダー特徴
自由党板垣退助フランス流の考えで、急進的。
立憲改進党大隈重信イギリス流の考えで、穏健的。

4. 基礎用語の確認問題(5問)

【問1】 板垣退助が政府に提出した、議会の開設を求める意見書を何といいますか。

【問2】 国民が政治に参加することを目指して行われた一連の運動を何といいますか。

【問3】 西郷隆盛を中心とした、士族による最後の大きな反乱を何といいますか。

【問4】 西南戦争の後、政府への批判は何によるものが中心になりましたか。

【問5】 大隈重信がリーダーとなって結成された政党は何ですか。


5. 基礎用語の確認問題の答え

  • 【問1】 民撰議院設立の建白書
  • 【問2】 自由民権運動
  • 【問3】 西南戦争
  • 【問4】 言論
  • 【問5】 立憲改進党

6. 高校入試対応:記述問題

【問題】

西南戦争の後、自由民権運動が活発になった理由を、「武力」と「言論」という言葉を使って説明しなさい。

【解答例】

西南戦争で士族が敗れたことで、武力で政府を倒すことは不可能だと悟り、言論によって国会の開設を求める運動に切り替わったから。

自分たちの国のルールを自分たちで決めたい!という熱い思いが、ついに政府を動かしました。

次は、いよいよ完成する日本初の本格的な憲法、大日本帝国憲法について学んでいきましょう!


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