「大日本帝国憲法」とは わかりやすく簡単に解説

歴史
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1889年2月11日。当時の東京では、お祭り騒ぎが起きていました。山車や仮装行列が町を練り歩き、人々は万歳三唱!

でも、実は当時の国民は、お祝いしている「憲法」の中身をほとんど知らなかったと言われています。中江兆民という思想家は「中身も知らないで喜んでいる場合か」と皮肉を言ったほどです。

なぜ、そんなに急いで憲法を作る必要があったのか? なぜ、アメリカやイギリスではなく「ドイツ」をお手本にしたのか?

今回は、今の日本のルーツでもある「大日本帝国憲法」の正体を、世界一わかりやすく解説します!

大日本帝国憲法


1. なぜ憲法が必要だった?――条約改正へのパスポート

明治政府にとって、最大の悩みは「不平等条約」でした。 岩倉使節団が欧米に行ったとき、「日本はまだ法律が整っていないから、条約改正なんて無理だよ」と門前払いされてしまったんです。

「日本もしっかりしたルール(憲法)を持つ、立派な近代国家なんだ!」 世界にそう認めさせるために、憲法の完成は急務でした。


2. 伊藤博文のヨーロッパ修行――なぜ「ドイツ」を選んだ?

憲法作成のリーダーは、ご存じ伊藤博文です。彼は自分にぴったりの憲法を探すため、ヨーロッパへ旅立ちました。

そこで彼が出会ったのが、ドイツ(プロイセン)の憲法でした。

  • 理由: 当時のドイツには強力な「皇帝」がいて、国のリーダーシップが非常に強かったのです。
  • 狙い: 「まだ新しい国である日本をまとめるには、天皇の権限が強いドイツ流がベストだ!」と確信しました。

3. 憲法の前に「チーム」を作った!――内閣制度の誕生

伊藤博文は、憲法を発表する前に、まず政治を動かす仕組みである「内閣制度(1885年)」を作りました。

  • 初代内閣総理大臣: 伊藤博文(なんと44歳の若さ!)
  • 役割: 天皇の政治を助けるためのチームです。これにより、憲法が動き出す準備を整えました。

4. 大日本帝国憲法の正体――天皇は「神」であり「元首」

(新皇居於テ正殿憲法発布式之図 1889年(明治22年)、安達吟光画 出典:Wikipedia

1889年に発布された憲法の特徴を見てみましょう。一言で言うと「天皇主権」の憲法です。

★ 天皇の圧倒的なパワー(天皇大権)

第1条  大日本(だいにほん)帝国(ていこく)は、永遠(えいえん)(つづ)(おな)家系(かけい)天皇(てんのう)(おさ)める。
第3条  天皇(てんのう)は、(かみ)のように(とうと)存在(そんざい)であり、(よご)してはならない。
第4条  天皇(てんのう)は、(くに)元首(げんしゅ)であり、(くに)国民(こくみん)(おさ)める権利(けんり)()つ。
第5条  天皇(てんのう)は、国会(こっかい)意見(いけん)()()れながら、法律(ほうりつ)(さだ)める権利(けんり)()つ。
第11条 天皇(てんのう)は、(りく)海軍(かいぐん)統率(とうそつ)する
第20条 日本(にほん)臣民(しんみん)天皇(てんのう)支配(しはい)対象(たいしょう)となる国民(こくみん))は、法律(ほうりつ)(さだ)めるところに(したが)い、兵役(へいえき)義務(ぎむ)(ゆう)する。
第29条 日本(にほん)臣民(しんみん)天皇(てんのう)支配(しはい)対象(たいしょう)となる国民(こくみん))は法律(ほうりつ)(さだ)められた範囲内(はんいない)で、言論(げんろん)著作(ちょさく)出版(しゅっぱん)集会(しゅうかい)団体(だんたい)をつくることの自由(じゆう)()つ。※ 制限(せいげん)はあったが、国民(こくみん)権利(けんり)一部(いちぶ)(みと)められた

★ 「臣民(しんみん)」としての国民

当時の国民は、憲法の中で「臣民」と呼ばれました。これは「天皇に仕える民」という意味です。

  • 自由の範囲: 言論や集会の自由は認められましたが、すべて「法律の範囲内」という制限付きでした。「勝手に何を言ってもいいわけじゃないよ」というルールだったんですね。

5. 帝国議会と「選ばれし1%」の選挙

憲法によって、話し合いの場である「帝国議会」が作られました。

  • 二院制: 選挙で選ばれる「衆議院」と、天皇が指名する特権階級の「貴族院」の2つです。
  • 第1回衆議院議員選挙(1890年): 投票できたのは、「直接国税を15円以上納める満25歳以上の男子」だけ。 これは全人口のわずか約1%。めちゃくちゃお金持ちな大人男子だけの、超プラチナチケットだったんです!

6. 基礎用語の確認!一問一答(テストに出るよ!)

【問1】 ヨーロッパの憲法を調査し、大日本帝国憲法の作成を中心になって進めた人物は誰ですか?

【問2】 大日本帝国憲法が最も参考にしたヨーロッパの国はどこですか?

【問3】 1885年に創設され、伊藤博文が初代のトップに就任した制度は何ですか?

【問4】 大日本帝国憲法において、天皇の支配対象である国民を指す言葉は何ですか?

【問5】 第1回衆議院議員選挙で、選挙権を与えられた「男子」の納税条件はいくら以上ですか?


7. 一問一答・答え

【問1】 伊藤博文

【問2】 ドイツ(プロイセン)

【問3】 内閣制度

【問4】 臣民(しんみん)

【問5】 直接国税15円以上


8. 入試・定期テストに出やすい記述問題と答え

【問題】 大日本帝国憲法において、国民の権利はどのような条件のもとで認められていましたか。「法律」という言葉を使って説明しなさい。

【答え】 無制限に認められたわけではなく、法律の範囲内においてのみ、言論や集会の自由が認められていた。


9. まとめ

  1. 1889年、アジア初の近代憲法「大日本帝国憲法」が発布された!
  2. 中心人物は伊藤博文。君主権が強いドイツ(プロイセン)を参考にした!
  3. 天皇は国のトップ(元首)であり、主権者として強い権限を持っていた!
  4. 国民は臣民とされ、自由は法律の範囲内という制限付きだった。
  5. 選挙権があったのは、全人口のわずか1%のお金持ち男子だけだった!

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