「大和政権」とは わかりやすく簡単に解説

歴史
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 3世紀後半

 奈良県を中心に栄え

 強大な力を持つ

 有力な豪族からなる

 大和政権

 大和政権とは、どのようなものか

 わかりやすく、簡単に解説していきます。

キーワード

・大和政権

・古墳

・前方後円墳

・大王

大和政権

大和政権の誕生

 卑弥呼邪馬台国の後

 近畿地方の奈良盆地を中心とする政権ができました。

 大きな力を持つ「

 王に従う「有力な豪族」で組織されます。

 これを「大和政権」と言います。

大和政権

 3世紀後半に奈良盆地を中心に強力な王と有力な豪族から組織された

② 古墳

 大和政権は多くの前方後円墳を造りました。

 四角の「方」と呼ばれる部分と「円」の部分があり「前方後円墳」と呼ばれる形です。

 カギ穴のような形の古墳です。

 有名なものは大阪府にある「大仙古墳」です。

大仙古墳
 制作期間  15年
 関わった人 600万人以上
 総工事費  800億円以上

太子君
太子君

どうしてこれほど大きな古墳を造ったのかな?

 キーワードは「お墓」「権力」「力を示す」です。

 昼は人が造り、夜は神が造った

 と言われるものをつくり、権力を示したのだと言われています。

③ 大王の誕生

 前方後円墳の分布は、最初は「近畿地方」が多いです。

 段々と九州地方から東北地方へと広がっていきます。

 前方後円墳の分布から

大和政権の勢力が九州地方から東北地方まで広がっていた

 ことが分かります。

 5世紀後半になると

 大和政権の「王」は「大王」と呼ばれるようになります。

 大王の1人である「ワカタケル大王

 「ワカタケル大王」と書かれた鉄剣が見つかります。

 埼玉県の稲荷山古墳

 熊本県の江田船山古墳

 から発見されました。

 つまり、

ワカタケル大王の勢力範囲が少なくとも埼玉県から熊本県までおよんでいた

 ことが分かります。

 「前方後円墳の分布」と「ワカタケル大王の鉄剣」から大和政権が日本を納めていたことが分かります。

まとめ

  1. 3世紀後半に奈良盆地を中心に強力な王と有力な豪族からなる大和政権が誕生した
  2. 大和政権はカギ穴のような形の前方後円墳をつくった
  3. 大阪の大仙古墳は日本最大の古墳で、権力を示すために造られた
  4. 大和政権の王は大王とよばれるようになり、勢力を九州地方から東北地方までのばした
  5. ワカタケル大王鉄剣が埼玉県の稲荷山古墳と熊本県の江田船山古墳から発見され大和政権の大王の勢力範囲だったことが分かる

用語確認 一問一答

① 3世紀後半に奈良盆地を中心に栄えた政権 

② 大和政権が造らせたカギ穴のような形の古墳 

③ 5世紀後半頃からの大和政権の王の呼ばれ方

用語確認 一問一答 ~答え~

① 大和政権
② 前方後円墳
③ 大王

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