「奈良時代の人々の負担」とは わかりやすく簡単に解説

歴史
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 奈良時代

 人々は戸籍に登録され

 負担が求められた

 ・調・庸

 は稲の収穫の3%

 調は都に布や特産物を納める

 は労役を行う

 奈良時代の人々の負担や生活について

 わかりやすく、簡単に解説していきます。

キーワード

・口分田

・租

・調

・庸

・防人

奈良時代の人々の負担

① 戸籍に登録

 奈良時代は710年~794年です。

 710年に平城京に都が移された時代が奈良時代です。

 奈良時代前半の人は450万人です。

 福岡県より若干少ないくらいです。

 戸籍に登録された人々は「良民」と「賤民」に分けられました。

 「良民」は普通の人々

 「賤民」は奴隷の人々

 賤民の奴隷と言っても、家事労働や畑仕事が主な仕事でした。

 農民の生活です。

 奈良時代の農民のご飯

 「1日1食」食べられれいい方です。

 ご飯にもありつけない日もありました。

 住んでいる住居は多くの人が「竪穴住居」に住んでいます。暮らしは厳しい。

 さらに、重い税金がありました。

 一方で貴族は、豪華な食事を食べることができていました。

 さらに特権もありました。税負担の免除と農民の税が貴族に与えられていました。

 現在の税の使い道は「国民のため」に使われています。

 奈良時代の税の使い道は「貴族(支配者)のため」に使われていました。

② 班田収授法

 戸籍に登録された6歳以上の人々に性別や身分に応じて田んぼが与えられます。

 口分田です。

 死ぬと国に口分田を返します。

 これを「班田収授法」といいます。

班田収授法

 6歳以上の人々に口分田を配り、死ぬと国に返させる

 口分田を与えられた人々は稲の収穫の3%を納める負担がありました。

 これを「」といいます。

 稲の収穫の3%を納める

 口分田で獲れる米だけでは足りない場合、国司が貸し付ける「公出挙」があります。

 これは利子が高く、収穫のほとんどをもっていかれてしまいます。

③ 調と庸

 21~60歳の男性は、「調」という負担があります。

 調とは、絹、糸、真綿、布または特産品を都に納める負担です。

調

 絹、糸、真綿、布または特産品を都に納める負担

 21~60歳の男性は、「」という負担があります。

 とは、布を納めるか、労役を10日間行う負担です。

 労役を10日するか、都に布を納める

 調や庸は都まで運ばれます。

 都まで特産品や布を持って行くのも奈良時代の人々の負担です。

 歩いて行きます。

 泊まる費用、食事の費用はすべて一般の人々が負担しなければ行けません。

 「奈良時代の人々の負担が大きい」と感じます。

④ 兵役

 奈良時代の21~60歳の男性には兵役がありました。

 兵役は、都で1年間警備を行う。

 もしくは、

 防人(さきもり)です。

 防人とは、3年間、北九州の防衛のために滞在するものです。

防人

 北九州の防衛のために3年間滞在をする

 3年間帰ってこられません。

 兵役は食料や武器は自己負担です。

まとめ

  • 奈良時代の人々は戸籍良民賤民に分けられて登録されていた
  • 貴族は税が免除され裕福な生活をし、一般の人々の生活は苦しかった
  • 班田収授法とは6歳以上の人々に口分田があたえられ、死ぬと国に返す
  • とは稲の収穫量の3%を納める負担である
  • 調とは布や特産品を都に納める負担である
  • とは労役を10日するか布をおさめるかをする負担である
  • 兵役があり、都は1年間防人になると北九州の防衛のために3年間滞在する

用語確認 一問一答

① 6歳以上の人々あたえられた田んぼの名前

② 稲の収穫3%を納める負担

③ 布または特産品を都に納める負担

④ 労役を10日するか都に布を納める負担

⑤ 北九州の防衛のために3年間滞在する負担

用語確認 一問一答 ~答え~

① 口分田
② 租
③ 調
④ 庸
⑤ 防人

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