「話せばわかる」は通じなかった――
日本の近代史の中で、軍部の影響力が一気に強まったきっかけが「五・一五事件」と「二・二六事件」です。
首相の暗殺、軍部への恐怖、そして政党政治の終焉。
この記事では、軍部によるテロがなぜ起きたのか?その背景と影響を中学生にもわかる言葉でわかりやすく解説します。
五・一五事件
満州事変と犬養毅の「話せばわかる」
1931年、満州事変が発生した当時の首相は犬養毅(いぬかいつよし)でした。彼は、次のような理由で満州国を認めませんでした。
- 中華民国との関係が悪化する
- アメリカ・イギリスとの関係も悪化し、日本が孤立する恐れがある
犬養首相は演説でこう語ります。
「私は、満州国は認めない。満州の所有権は中華民国のものである」
軍部(関東軍)はこの発言に激しく反発。
「せっかく満州に進出する流れなのに邪魔をされた」と見なします。
五・一五事件とは?首相暗殺で政党内閣終了
1932年5月15日、五・一五事件が起きます。
- 犬養毅首相が青年将校らにより首相官邸で暗殺される
- 犬養は「話せばわかる」と説得を試みたが、後から来た別の犯人に撃たれた
この事件により、政党内閣は終了。以後、軍人出身の首相が次々と登場する時代が始まります。
犯人たちへの驚くべき世論の反応
さらに驚きなのはその後の展開です。
- 犯人たちは裁判で死刑にならず、わずか6年で全員が出所
- 一部の国民からは「正義だ」「軍人の勇気だ」と賞賛される声が上がり
- 全国から数万通の助命嘆願(罪を軽くする要望書)が裁判所に届いた
「首相を殺しても6年で出てこられるなら…」
→ テロが“手段”として許されてしまう空気が広がります
二・二六事件
二・二六事件とは?軍部に逆らうと命を狙われる時代に
1936年、ついに二・二六事件が発生。
全国の軍人・兵士1,558人が首都に出動し、政府要人を襲撃しました。
犠牲になったのは…
- 岡田啓介首相(暗殺未遂、別人と間違われて助かる)
- 高橋是清大蔵大臣(軍事費を抑制しようとして暗殺)
- 鈴木貫太郎(五・一五事件の対応を批判していたため重傷)
この事件で明らかになったこと:
「軍部に逆らうと、命を狙われる」
以後、政治家・官僚・報道関係者も軍部に逆らえない空気が一気に強まりました。
まとめ
用語 | 解説 |
---|---|
犬養毅 | 満州国を認めなかった首相。五・一五事件で暗殺された |
五・一五事件 | 犬養毅首相が青年将校により暗殺された事件(1932年) |
二・二六事件 | 軍人1,500人以上によるクーデター未遂事件(1936年) |
確認問題
単語の確認問題(選択式)
- 五・一五事件で暗殺された首相は?
A. 原敬 B. 高橋是清 C. 犬養毅 D. 岡田啓介 - 犬養毅が暗殺の場面で放った有名な言葉は?
A. 抵抗はしない B. 戦争は望まない C. 話せばわかる D. 一歩も引かない - 犯人たちへの判決結果として正しいものは?
A. 死刑 B. 無期懲役 C. 無罪 D. 約6年で全員出所 - 二・二六事件で軍部が暗殺した大蔵大臣は?
A. 松岡洋右 B. 高橋是清 C. 東條英機 D. 山本五十六 - 二・二六事件で襲撃されたが命が助かった首相は?
A. 犬養毅 B. 鈴木貫太郎 C. 岡田啓介 D. 浜口雄幸
✅ 単語の確認問題の答え
- 犬養毅
- 話せばわかる
- 約6年で全員出所
- 高橋是清
- 岡田啓介
✍️ 用語練習問題(記述式)
- 五・一五事件
- 犬養毅
- 二・二六事件
✅ 単語の確認問題の答え
- 犬養毅首相が軍人に暗殺され、政党内閣が終了した事件(1932年)
- 満州国を認めず軍部を批判した首相。五・一五事件で暗殺された
- 軍人が政府中枢を襲撃し、大臣らを暗殺したクーデター未遂事件(1936年)
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