大正時代
日本は近代国家としての体制を整えるなかで「国民の声」が政治を動かす初の大きなうねりを迎えます。
桂太郎内閣を退陣に追い込んだ護憲運動
好景気に沸く大戦景気
そして政党政治や民本主義
この記事では、大正デモクラシーを象徴する出来事を、わかりやすく一つずつ解説します。
大正デモクラシー
国民が内閣を退陣させた!護憲運動とは?
1910年代、政府には「議会」と「内閣」がありましたが、実質的な権力を握っていたのは「元老」と呼ばれる非公式の長州藩・薩摩藩出身の重鎮たち(=藩閥)でした。
一方、国民の中からは自由党や立憲政友会などの「政党」を作り、政治を担おうという動きが高まります。
西園寺公望の辞任と桂太郎の就任
西園寺内閣は陸軍からの協力が得られず、組閣できずに辞任します。
代わって軍部に都合のよい桂太郎が首相に就任します。
しかし桂太郎は、議会に都合が悪いときに「詔勅(しょうちょく)」を使って議論を封じました。
詔勅とは天皇が発する公式文書です。
詔勅を使うと、議会を停会できます。桂はこれを悪用します。
桂内閣に対する不信任決議案が提出されます。
しかし、桂はまたも詔勅による議会の停会で対応します。
→ これに対して数万人の民衆が議事堂を取り囲み「憲法に基づく政治をしろ!」と声を上げたのが護憲運動です。
→ 最終的に、桂内閣は退陣に追い込まれました。
このとき警察は、自由民権運動時代と違い、民衆の活動を“止めなかった”点にも注目です。
大正デモクラシーとは何か?
「デモクラシー」は民主主義の意味。
つまり「大正デモクラシー」は、大正時代に国民の声や自由・平等の思想が政治を動かした時代を指します。
代表的な出来事4つを押さえておきましょう:
出来事 | 内容 |
---|---|
護憲運動 | 「憲法に基づく政治をせよ」と桂内閣を退陣させた |
米騒動 | 米価の高騰に怒った民衆の全国的な暴動 |
政党政治 | 原敬が本格的な政党内閣を組織 |
民本主義 | 吉野作造が唱えた「民衆が中心の政治」思想 |
大戦景気と家計の苦しさ
第一次世界大戦の影響で日本は好景気を迎えます。
これが「大戦景気」です。
好景気になった理由は?
- ヨーロッパが戦争中で生産できなかったため、輸出が急増
- 欧米からの輸入が止まり、日本国内の工業が発展(特に重化学工業)
例:「暗くて靴が見つからないわ…」の料亭風刺画では、100円札(今の25万円分)に火をつけるほどの贅沢ぶりが描かれました。
しかし…。
好景気の陰で:物価の急上昇します。
商品 | 値上がり率 |
---|---|
毛織物 | 1.5倍 |
紙類 | 1.7倍 |
バケツ | 2倍 |
米 | 2.9倍(主食) |
当時の労働者の日給:
- 男性:92銭(=0.92円)
- 女性:48銭
→ 米1日分=50銭:女性は1日働いてもお米が買えない!
家計は逼迫し、全国で米騒動が発生します。
まとめ
- 護憲運動は「国民が内閣を退陣させた」大事件
- 大正デモクラシーは、国民の声と政党政治が台頭した民主主義の萌芽期
- 大戦景気は好景気と物価上昇という両面を持つ現象だった
単語の練習問題— 大正デモクラシー編
次の問いに当てはまる最も適切な語句を、A〜Dの中から1つ選びましょう。
- 憲法に基づいた政治を求めて桂内閣の退陣を実現させた運動は?
A. 民本主義 B. 五・四運動 C. 大戦景気 D. 護憲運動 - 明治時代の有力者で非公式に政治に影響力を持っていた人々を何と呼ぶ?
A. 軍閥 B. 政党員 C. 元老 D. 大臣 - 大正時代に広がった「民主主義的風潮」を表す言葉は?
A. 自由民権運動 B. 大正デモクラシー C. 昭和モダン D. 明治維新 - 日本が第一次世界大戦の特需によって経験した好景気を何という?
A. 戦後不況 B. 重化学ブーム C. 大戦景気 D. 白熱経済 - 米価高騰に対する民衆の暴動が全国に広がった出来事は?
A. 米安戦争 B. 米騒動 C. 米独立運動 D. 米争論
✅ 答え合わせ
- 護憲運動
- 元老
- 大正デモクラシー
- 大戦景気
- 米騒動
問題:次の語句の意味を簡単に説明しよう(15〜30字程度)
- 護憲運動
- 大正デモクラシー
- 元老
- 政党政治
- 大戦景気
✅ 解答例
- 護憲運動:憲法に基づいた政治を求めた国民の運動
- 大正デモクラシー:国民の意思が政治に反映された大正時代の民主主義的風潮
- 元老:明治時代の有力政治家で、政府の方針に強い影響をもった人物たち
- 政党政治:政党が内閣を組織し、政治運営を行う仕組み
- 大戦景気:第一次世界大戦の影響で日本が経験した一時的好景気
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