皆さん、こんにちは!「社会人先生」です。今日も楽しく歴史を学んでいきましょう。
江戸時代の日本にとって、お隣の「朝鮮国(ちょうせんこく)」は、単なる近所付き合い以上の特別な存在でした。
かつては激しい戦争(豊臣秀吉の朝鮮出兵)で関係がボロボロになっていた両国。それを修復し、約200年以上にわたる平和な関係を築いたのが、江戸幕府の知恵でした。
今回は、日本中がワクワクして待っていた巨大パレード「朝鮮通信使(ちょうせんつうしんし)」の正体に迫ります!
江戸幕府と朝鮮国 朝鮮通信使
1. 徳川家康の「友情復活大作戦」
まず、当時の背景を知っておきましょう。
- 最悪のスタート:豊臣秀吉が行った2度の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)により、日本と朝鮮国の関係は最悪で、交流は完全にストップしていました。
- 家康の決断:江戸幕府を開いた徳川家康は、「隣の国とケンカしたままでは、平和な国づくりはできない」と考え、必死に関係修復を試みました。
- 結果:家康の努力が実り、対馬(つしま)の宗氏(そうし)を仲立ちとして、再び外交がスタートしたのです。
2. 江戸っ子も驚愕!300〜500人の超豪華行列

関係が回復した証として、将軍の代替わりなどの大きなイベントごとにやってきたのが朝鮮通信使です。
- 規模がすごい:総勢300人から500人。これほど多くの外国人が一度に日本を縦断するのは、江戸時代では他にありませんでした。
- 時間がすごい:行列が長すぎて、目の前を通り過ぎるだけで5時間かかることもあったといいます!
- 人気がすごい:当時の日本人にとって、生で「外国人」を見るチャンスはこれくらいしかありません。沿道には、一目見ようと日本中から人々が集まり、お祭り騒ぎになりました。
3. 【面白い豆知識】お祭りの「ワッショイ」はここから!?
朝鮮通信使の行列の中で、一番偉い人は豪華な「みこし」に乗って運ばれていました。
★ 歴史のヒント:「ワッショイ」のルーツ説 朝鮮通信使が道を練り歩く際、担ぎ手たちがかけ声をかけていました。 一説には、韓国語の「ワッソ(来ました)」が変化して、現代のお祭りの「ワッショイ」になったという話があります。日本の文化の中に、今でも当時の交流の跡が残っているかもしれないなんて、ワクワクしますね!
4. 基礎用語の確認問題(5問)
【問1】 豊臣秀吉による朝鮮出兵で悪化した関係を修復した、江戸幕府の初代将軍は誰ですか。
【問2】 将軍の代替わりごとにお祝いのために朝鮮国から派遣された、大規模な使節を何といいますか。
【問3】 朝鮮国との外交や貿易の実務を仲立ちしていた、九州と朝鮮半島の間に位置する藩は何藩ですか。
【問4】 朝鮮通信使の行列が通り過ぎるのに、長いときで何時間ほどかかりましたか。
【問5】 朝鮮通信使のかけ声が由来という説がある、日本の祭りでよく聞く言葉は何ですか。
5. 基礎用語の確認問題の答え
【問1】徳川家康
【問2】朝鮮通信使
【問3】対馬藩(つしまはん)
【問4】5時間
【問5】ワッショイ
6. 高校入試に出る記述問題
【問題】 江戸幕府が朝鮮国と「朝鮮通信使」を通して交流を続けたことは、当時の日本にとってどのような意義がありましたか。「平和」という言葉を使って説明しなさい。
7. 答え
秀吉の出兵以来の対立を解消し、隣国との平和な関係を対外的に示すことで、幕府の権威を高め、国内の安定を図る意義があった。8. まとめ



コメント