皆さん、こんにちは!「社会人先生」です。今日も楽しく歴史を学んでいきましょう。
「征夷大将軍(せいいだいしょうぐん)」といえば、源頼朝や徳川家康を思い浮かべる人が多いですよね。でも、実はその歴史を語る上で絶対に外せないのが、平安時代に活躍した坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)です。
彼はなぜ「最強」と呼ばれたのか? なぜ1000年以上経った今でも東北地方で語り継がれているのか? 今回は、彼の功績から、敵対したリーダーとの友情(!?)まで、世界一わかりやすく解説します!
坂上田村麻呂~初代:征夷大将軍~
1. そもそも「蝦夷(えみし)」って誰のこと?
坂上田村麻呂を語る前に、まず知っておかなければならないのが「蝦夷」です。
- 蝦夷とは: 当時、東北地方に住んでいた人々のことです。
- 当時の状況: 彼らは朝廷(天皇の政府)のルールに従わず、独自の生活を送っていました。政府から見ると「言うことを聞かない手強い人々」だったのです。
2. なぜ蝦夷を討伐しに行ったのか? 桓武天皇の野望
平安京を築いた桓武天皇(かんむてんのう)には、大きな夢がありました。それは、「日本全体を法律(律令)で一つにまとめること」です。
しかし、東北地方が独立した状態では「一つの国」とは言えません。そこで、政府の支配を広げるために大軍を送り込むことにしたのです。これを「蝦夷討伐(えみしとうばつ)」と呼びます。
3. 「征夷大将軍」ってどんな意味?
ここで、あの有名な役職が登場します。
- 征: 打つ、攻める
- 夷: 蝦夷(えみし)のこと
- 大将軍: 軍隊のトップ
つまり、「蝦夷を打ち負かすための軍隊の最高司令官」という意味なんです。坂上田村麻呂は、この大役を桓武天皇から任されました。
4. 田村麻呂の功績:胆沢城(いさわじょう)の建設
田村麻呂はただ戦うだけではありませんでした。
- 胆沢城(岩手県): 蝦夷の勢力を抑えるための重要な拠点として、立派な城を築きました。
- 志波城(岩手県): さらに北にも拠点を広げ、政府の支配を確実なものにしました。
これにより、東北地方の多くが朝廷の支配下に入ることになったのです。
5. 伝説の「強さ」と、涙の「優しさ」
田村麻呂が「超一流」と言われる理由は、戦いの強さだけではありません。彼には「敵を敬う心」がありました。
★ 宿敵・アテルイとの戦い
蝦夷のリーダーは、アテルイという非常に強くて賢い男でした。政府軍は何度も彼に負けていましたが、田村麻呂は粘り強く戦い、ついにアテルイを降伏させます。
★ 田村麻呂の「優しさ」と記述のポイント!
降伏したアテルイを連れて京都に戻った田村麻呂は、天皇にこう願い出ます。
しかし、都の貴族たちは「野蛮な男を生かしておいては危ない」と反対し、アテルイは処刑されてしまいました。田村麻呂はこれに深く悲しんだと言われています。
「戦う時は厳しく(強さ)、勝った後は思いやる(優しさ)」。この人間性が、のちの武士道(ぶしどう)のモデルになったとも言われています。
6. 基礎用語の確認!一問一答(テストに出るよ!)
【問1】 桓武天皇に任命され、蝦夷討伐の最高司令官となった人物は誰ですか?
【問2】 坂上田村麻呂が任命された、蝦夷を征服するための役職名を何といいますか?
【問3】 坂上田村麻呂が、東北の拠点として現在の岩手県に築いた城の名前は何ですか?
【問4】 坂上田村麻呂と戦い、最後は降伏した蝦夷のリーダーの名前は何ですか?
【問5】 坂上田村麻呂を派遣して、律令国家の立て直しを図った天皇は誰ですか?
7. 一問一答・答え
【問1】 坂上田村麻呂
【問2】 征夷大将軍
【問3】 胆沢城(いさわじょう)
【問4】 アテルイ(阿弖流為)
【問5】 桓武天皇
8. 入試、定期テストに出やすい記述問題と答え
【問題】 坂上田村麻呂が、降伏したアテルイの助命(命を助けること)を朝廷に願い出たのはなぜですか。理由を説明しなさい。
9. まとめ







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