「信長のあと、どうやって日本はひとつになったの?」
「天下統一って、戦いだけじゃなかったの?」
この記事では、織田信長の死後、天下統一を完成させた豊臣秀吉の歩みをわかりやすく紹介します。主要な戦い・政治の工夫・経済・宗教への対応など、中学生の授業の復習にもピッタリの内容です!
豊臣秀吉の天下統一
1. 信長の死と後継者争い
- 1582年:織田信長、本能寺の変で明智光秀に討たれる
- 光秀はすぐに豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)に討たれる
→ 有名な「山崎の戦い」 - 秀吉は柴田勝家らを倒し、信長の後継者としての地位を固める
2. 全国統一までの3大決戦!
年 | 戦い | 相手 | 結果 |
---|---|---|---|
1585 | 四国平定 | 長宗我部元親 | 降伏し、支配を認める |
1587 | 九州平定 | 島津氏 | 謝罪と降伏により統一成功 |
1590 | 小田原征伐(関東) | 北条氏 | 北条氏滅亡 → 完全国統一へ |
- 奥羽地方(東北)の大名も従い、1590年、全国統一が完成!
3. 秀吉の政治と経済の工夫
政策 | 内容 |
---|---|
太閤検地 | 土地の面積・収穫量・所有者を調査し、年貢を正確に管理 |
刀狩 | 百姓から武器を取り上げて一揆を防ぎ、農業に集中させる |
兵農分離 | 武士と百姓の役割をはっきり分けた社会制度 |
鉱山の支配 | 金山・銀山を直接管理。佐渡金山や石見銀山など |
貨幣の整備 | 大判・小判などの金貨を発行し、経済を統一しやすくする |
農業・鉱山・税・経済を国家がしっかり管理したのがポイント!
4. 外交と宗教政策:キリスト教と朝鮮出兵
- 1587年 バテレン追放令
→ キリスト教の布教がスペインやポルトガルの軍事とつながるのを警戒
→ 宣教師を国外追放 - 1592年・1597年 朝鮮出兵(文禄の役・慶長の役)
→ 明(中国)の征服を目指して朝鮮半島へ
→ 明・朝鮮連合軍の反撃で失敗、秀吉の死で中止
→ 豊臣政権衰退の原因となる
5. 豊臣秀吉の歩みまとめ
年代 | 出来事 |
---|---|
1582年 | 本能寺の変→信長死亡/秀吉が明智光秀を討つ |
1583年 | 賤ヶ岳の戦いで柴田勝家に勝利 |
1585年 | 関白に任命される(天皇の命令で全国支配を合法化) |
1590年 | 北条氏を滅ぼし、全国統一を完成! |
1592年 | 朝鮮出兵(文禄の役)開始 |
1598年 | 秀吉の死により出兵が中止。豊臣政権が弱体化 |
キーワードまとめ
用語 | 内容 |
---|---|
豊臣秀吉 | 織田信長の家臣。信長の死後に全国統一を完成させた武将 |
太閤検地 | 土地・年貢を正確に把握するための全国調査 |
刀狩 | 百姓の武器を回収して一揆を防止 |
兵農分離 | 武士と百姓の仕事を分けて安定した社会をつくる |
バテレン追放令 | キリスト教の宣教師を国外追放した命令(1587年) |
朝鮮出兵 | 秀吉による海外戦争。明征服を狙ったが失敗 |
確認問題
確認問題(選択式)
- 太閤検地の目的は?
A. 商売を自由にする B. 武器を集める C. 年貢を正しくとる D. 城をつくる - 刀狩によって何が進んだ?
A. 農地改革 B. 兵農分離 C. 関所の復活 D. キリスト教の普及 - 豊臣秀吉がキリスト教の宣教師を追放した理由は?
A. 物価が上がるから B. 仏教が禁止されたから
C. 外国の軍事力と結びついて危険だと思ったから D. お金がかかるから - 秀吉が全国統一を完成した年は?
A. 1582年 B. 1590年 C. 1603年 D. 1543年 - 朝鮮出兵の結果として正しいものは?
A. 明を征服した B. 豊臣政権が強くなった
C. 秀吉の死で中止され、政権が弱まった D. 鉄砲の伝来が止まった
✅ 選択問題の答え(記号+内容)
- C:年貢を正しくとる
- B:兵農分離
- C:外国の軍事力と結びついて危険だと思ったから
- B:1590年
- C:秀吉の死で中止され、政権が弱まった
用語練習問題(記述式)
- 豊臣秀吉が行った「太閤検地」とは何のための政策だったか、あなたの言葉で説明しなさい。
- 刀狩によって百姓と武士の間にはどのようなちがいができたか、簡潔に書きなさい。
- 豊臣秀吉がキリスト教を禁止した理由を、当時の世界情勢と関係づけて説明しなさい。
✅ 記述式解答例
- 太閤検地は、全国の土地の面積・収穫量・所有者を調べて、年貢を公平に集めるための政策だった。
- 武士は戦い、百姓は農業をするという役割がはっきりと分かれ、身分のちがいが生まれた。
- 当時、キリスト教を広めていた宣教師がスペインやポルトガルとつながっており、軍事力で日本を支配されるかもしれないと考えたから。
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