明治政府の政治がスタート
実際にどんな政策を行ったのか
効果はどうだったのか?
キーワード
・学生
・徴兵令
・地租改正
明治時代の三大改革
明治政府は日本を近代国家にするために政策を実行します。
明治政府が特に力を入れた「三大改革」
① 学制 満6歳以上の男女は小学校で学ぶ ② 徴兵令 満20歳の男子は兵役 ③ 地租改正 地価の3%を現金
明治政府の三大改革をわかりやすく、解説していきます。
① 学制~満6歳以上の男女は小学校で学ぶ~
学制は満6歳以上の男女が小学校で学ぶことです。
満6歳以上の男女が小学校で学ぶ
江戸時代までは庶民は寺子屋で勉強をしていました。
しかし、急に「小学校に行きなさい」と言われても訳が分かりません。
勉強に対するモチベーションは少なかったと思います。
さらなる問題点がありました。
現在の教育と違い
それでは普及に時間がかかります。一気に教育に力を入れます。
そのため、多くの家庭では小学校に通わせることができない。
さらに、学校の建設が進まず、寺子屋で使っていたお寺をそのまま活用する事例もありました。
一方で立派な小学校を建設する地域もありました。旧開智学校です。住民の寄付によってつくられました。
どうしてこれほど立派な学校を建設したのでしょうか?
長野県は養蚕が盛んでした。生糸を作って、横浜から輸出をしていました。
横浜に行ったときに、
と教育の重要性に気付いた人々は、立派な学校を作ろうとなりました。
教育に力を入れる先見性がある地域です。
一方で国民の負担が大きくなるというこで、反対の一揆が起きました。
② 徴兵令~20歳の男子は兵役につく~
徴兵令は満20歳の男子は兵役につくことです。
満20歳の男子は兵役につく政策
江戸時代は武士が戦う時代でした。
しかし、四民平等によって身分に関係なく戦うのが明治時代です。
明治政府は、服装や武器もそろえ、欧米諸国を真似した近代的な軍隊を目指しました。
多くの人にとって、徴兵は嫌なものでした。
そこで、
内容は腕を折るや懲役にかせられるといったイレギュラーなものもありました。
徴兵が免除される条件がありました。こちらは正攻法です。
徴兵が免除される条件
・身長が5寸1寸(約154.5cm)
・未満の人病弱で兵役にたえられない者
・役人、官立(国立)の学校の学生
・一家の主人家のあとつぎ
・兄弟が兵役についているもの
・代人料(お金)270円おさめた者(現在の800万円)
徴兵令の免除規定によって多くの人は免除されていました。
実際に徴兵されたのは、2~3%と言われています。理由は明治政府の財政不足です。
1889年から免除の規定がなくなり、全員が徴兵されるようになりました。
徴兵令も国民の反対があり徴兵令反対一揆が起きました。
③ 地租改正~地価の3%を現金で納める~
地租改正は地価の3%を現金で納めることです。
税金の制度で、地価(土地の値段)の3%を現金で納める政策
江戸時代からの変更点
・米⇒現金
・収穫高⇒地価の3%
地券が発行され、土地の持ち主の名前、地価、広さなどが書かれていました。
地価の3%ときくと負担は少ないように見えます。実際は江戸時代と変わらない負担もしくはそれ以上の負担をおわされました。
そのため、地租改正一揆が起きました。
明治政府は地価の3%を2.5%に変更をしました。
地租改正を行った目的です。江戸時代の米で集める年貢はその年によって収入が違い、財政が安定しませんでした。
地租改正は地価の3%を現金でおさめるので、明治政府の収入が安定し、財政も安定することになりました。
まとめ
- 明治政府は日本を近代国家にするために三大改革を行った
- 学制とは、満6歳以上の男女が小学校で学ぶ政策
- 徴兵令とは、満20歳の男子が兵役の義務につく政策
- 地租改正とは、地価(土地の値段)の3%を税金として現金で納める政策
- 地租改正の結果、明治政府の収入が安定し、財政が安定した
- 三大改革の結果、反対一揆が起きたが、日本を近代国家になる足がかりとなった
用語確認 一問一答
① 満6歳以上の男女は小学校で学ぶ
② 満20歳の男子は兵役
③ 地価の3%を現金で納める
用語確認 一問一答 ~答え~
① 学制
② 徴兵令
③ 地租改正